Dissertation
Survey: Ainu Culture / アイヌの衣服と刺繍(北海道)
数万年も前から人が住んでいた北海道では、狩猟・漁労・採集を行う「縄文文化」、それを発展させた「続縄文文化」と人の暮らしは連綿と続き、アイヌの文化が成立したのは12〜13世紀ごろとされている。彼らは古来、鹿、熊、犬、アザラシなどの動物の毛皮やサケやマスの魚皮を素材とする「獣皮衣」を身に着けていたが、次第に樹皮や草などの植物繊維を用いた「樹皮衣」「草衣」が主流となった。
| Category: | Survey |
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| Date: | 2016.11.01 |
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| Tags: | #ainu #survey #二風谷 #北海道 |
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"Survey"とは「調査・検分」の意。〈visvim〉が日々、ものづくりをする上でインスピレーションを与えてくれる魅力的なモノ、人、場所、文化などさまざまなトピックを独自の視点で取り上げ、レポートします。

北の大地で受け継がれた衣の文化
数万年も前から人が住んでいた北海道では、狩猟・漁労・採集を行う「縄文文化」、それを発展させた「続縄文文化」と人の暮らしは連綿と続き、アイヌの文化が成立したのは12〜13世紀ごろとされている。彼らは古来、鹿、熊、犬、アザラシなどの動物の毛皮やサケやマスの魚皮を素材とする「獣皮衣」を身に着けていたが、次第に樹皮や草などの植物繊維を用いた「樹皮衣」「草衣」が主流となった。江戸時代後期の北方探検家・村上島之允が記した『蝦夷嶋奇観』にはそうした数種の衣服のほか、羽毛のついた鳥皮を縫い合わせて作った衣服を着た人物の姿も描かれている。

最も代表的な衣服である「アットゥシ」はオヒョウやシナノキなどの皮から繊維を取り出し、織り機にかけて反物を織り出したもので、日常の労働着としてだけでなく、刺繍などで文様を施したものは晴れ着として用いた。こうした刺繍の多くには置布として「木綿布」が使われたが、元来気温の低い北海道では熱帯原産の綿花は育たず、古くから周辺地域と活発な交易を行ってきた彼らは本州から木綿の布を入手していた。江戸時代後期には入手がより容易になり、柔らかな木綿地に女性たちがさまざまな刺繍を施した「木綿衣」が晴れ着の主流となっていった。こうした木綿衣は、大別すると以下の4種類に分けられる。
ルウンペ:木綿地にテープ状の置布を切り伏せ(アップリケのように縫い付ける)、その上に文様を刺繍したもの。
カパラミプ:幅の広い白布を切り抜いて文様を作り、木綿地に縫い付けたもの。
チカラカラペ:和襟の木綿衣に黒や紺の布を切伏せたもの。
チヂリ:置布を置かずに刺繍だけで文様を作るもの。



晴れ着には男性用/女性用の区別はなく、またその形態や刺繍の文様は地域ごとに特色がある。襟、袖口、裾周りに施された縄模様の刺繍は、開口部から人間の体内に魔物が進入するのを防ぐ"魔除け"の意味を持っていた。現代でもこうした伝統的な晴れ着は祭りなど儀式の際に着用されている。

文字を持たなかったアイヌの人々は、衣服の作り方を母から娘へ、口伝いに教えてきた。北海道沙流郡平取町・二風谷で今では数少ないアットゥシ織りの伝承者として「藤谷民芸店」を営む藤谷るみ子さんもまた、幼いころから母の糸作りを手伝い、中学を出るとすぐに機織りの仕事を始めたという。


「昔はシナノキの皮はかごや袋、ロープに、オヒョウの皮は着物にと、生活の中で使うものを自分で作るのは当たり前でした。昭和50年代くらいまでは、観光客や行商の方の出入りも多く、それが貴重な現金収入にもなっていたので、この地域にはたくさんの織り手がいたんですよ。私も幼い頃は地味で大変な仕事だなあと思っていたけれど、20代の終わりごろから、木の繊維を取り出すところからアットゥシ作りのすべての工程を自分で担うようになってから、だんだん楽しくなっていきました」



アットゥシに使われる糸は、樹齢40年ほどのオヒョウの木から内皮を取り出し、伸ばして乾燥させ、灰汁で長時間かけて煮詰めて柔らかくし、流水で洗った後に天日干したものを撚って作られる。その工程だけでもとても長い時間がかかるが、この糸を使い、腰と柱にくくりつけ糸を張る「腰機」と呼ばれる織り機で織り上げられるのは一日に1メートルほど。軽くて丈夫、風通しよく撥水性も高いアットゥシはかつては生活に欠かせない必需品であり、人々は長い時間と手間をかけて作った着物を大事に受け継いだ。



札幌に住む服飾研究家の津田命子さんは、アイヌ衣文化の研究を続ける傍ら、その製作技術を後世に伝えるべく指導者として活動している。北海道白老のコタン(集落)出身で「熊とり名人」だったアイヌの祖父を持つ彼女にとって、子どもの頃に実家にあった古いアイヌの着物は身近なものではあったが、その存在に興味を持ち研究の道へと進んだのは、40歳を過ぎてアイヌとしてのアイデンティティに目覚めてから。68歳で博士号を取得し、北海道立ウタリ総合センターでは約20年にわたり学芸員を務めた。


津田さんが従来の多くの研究者と異なっていたのは、"作り手"としての視点からアイヌ衣文化を実践的に掘り下げた点にあった。かつてこうした衣服を家庭内で日常的に扱ってきたアイヌのおばあさんたちを訪ね、道内各地でフィールドワークを重ねたほか、国内外の博物館に収蔵されている古いアイヌ衣服の資料をつぶさに観察して素材や縫製、文様の変遷とその技術を調べあげた。

「どの部分にどのような縫製や刺繍が施されているのか。刺繍の運針や縫い目の進行方向を実際に見て確認していきました。古い衣服ではイラクサでかがり縫いされていたのが、次第に木綿糸で波縫いされるようになり、糸の種類も縫合方法も時代ごとに変化しています。また刺繍も点線刺繍、破線刺繍から曲線を伴ったものへと変遷が見られます。19世紀初頭にオランダ商館長を務めたヤン・コック・ブロムホフが持ち帰ったアットゥシ、江戸末期に駐日プロイセン領事だったフォン・ブラントが集めたアットゥシを観るために、オランダやドイツの博物館にも通いました。当時の着物を見れば、その作り手の縫製技術が非常にレベルの高い、熟練のものであったことがよく分かります」


下絵を転写するチャコペーパーも定規もコピー機なかった時代、どのようにしてこうした複雑な文様の刺繍を施すことができたのか。津田さんは古い衣服の資料を観察するだけでなく、自らその複製をたびたび試み、その中で「布を半分に折り畳んだ1/2の位置で曲線が交差する」というアイヌ文様の原則や、また手の平や指、腕などの「身体尺」を使って長さを測ったことなど古来の製作方法を突き止めていった。

「現代では下絵を使ってアイヌ刺繍を制作する方法が主流になっていますが、かつては女性たちが自分の身体を使い、工夫してそれぞれ独自の美しい文様を生み出していました。文明の利器により複写された文様は当然、完全な左右対称の形状ですが、昔ながらの方法で作られた刺繍は微妙なズレや歪みが生まれます。しかし考えてみれば、自然界には完全な左右対称のものはありません。私はその自然に生まれたズレが「ゆらぎ」となって、見飽きない魅力に繋がると感じています。そうしたものの良さは、触れてみないと分かりません。そのために、伝統的な技術を後世の人に伝えていきたいと思っています」


藤谷民芸店
055-0101 北海道沙流郡平取町二風谷
文:井出幸亮
写真:深水敬介








