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Survey: Tairyo-bata / 大漁旗(静岡・焼津市)

横幅1メートルを超えることもある大きな織地に、原色による華やかな絵柄で波や船、魚のほか、船の名前、時には旭日や鶴亀、富士山などおめでたい縁起物などが染め抜かれたその旗は、文字どおり「大漁」を示す旗であり、多くの伝統的な旗と同じく、無線などの通信手段のない時代に遠く離れた場所へメッセージを伝える重要な道具だった。

Category:Survey
Date:2017.12.12
Tags: #survey #tairyo-bata #大漁旗 #焼津市

"Survey"とは「調査・検分」の意。〈visvim〉が日々、ものづくりをする上でインスピレーションを与えてくれる魅力的なモノ、人、場所、文化などさまざまなトピックを独自の視点で取り上げ、レポートします。

日本の港を彩ってきた、豊漁を祝い、祈る旗。

居酒屋など魚料理を扱う飲食店の店内などで、誰もが一度は「大漁旗」を目にしたことがあるだろう。横幅1メートルを超えることもある大きな織地に、原色による華やかな絵柄で波や船、魚のほか、船の名前、時には旭日や鶴亀、富士山などおめでたい縁起物などが染め抜かれたその旗は、文字どおり「大漁」を示す旗であり、多くの伝統的な旗と同じく、無線などの通信手段のない時代に遠く離れた場所へメッセージを伝える重要な道具だった。

漁船が帰港する際、沖でこの旗を掲げていた場合、港で待つ人々は魚の荷揚げ作業が多くなることを予め理解し、その準備に取りかかかる。不漁であった場合には旗を掲げない、あるいは白旗を掲げるという地域もあった。また獲れすぎた魚が船に載りきらず、他船に転載を依頼する際の合図としても使われたという。一般的に、新造した漁船の船主に対する祝儀として船元の仲間や親戚から贈られるもので、進水式の際に寄贈されるのが習わしとなっている。

大漁旗の起源ははっきりとわかっておらず、江戸時代中期ごろからこれに近いものが使われていたとも言われるが、当時の旗には絵柄はなく、白や赤など海上で目につき易いシンプルな麻旗が使われていたという。現在のようなカラフルなスタイルの旗が登場したのは主に第二次大戦後のことで、派手な図柄の起源は、かつて豊漁祝いとして船主から船子たちに贈られた「万祝(まいわい)」、あるいは「大漁カンバン」などと呼ばれる晴れ着の印半纏にそのルーツがあるとも言われている。大胆で勇壮な絵柄と構図は、威勢のよい漁師たちに好まれてきたものだ。

こうした大漁旗も通信手段の進化により元来の道具としての機能は失われ、現在では新造船の船下ろしや正月などの祭典の場、飲食店の装飾などに使われるのみとなっている。

日本有数の水揚げ量を誇る漁港、静岡県の焼津で120年以上続く「高橋染物店」は、今や県内では2軒のみになった大漁旗の製造を手がける染物店だ。三代目店主・高橋浩之さんは多くのカツオやマグロ漁船で焼津の港が賑わっていた1960年代ごろ、先代の店主だった父が毎晩、大漁旗の制作に懸命に取り組んでいた姿を記憶しているという。

現在も大漁旗は当時と変わらない伝統的な技法で染められている。白いキャンバスを水平に張り、下書きの輪郭線にもち米と糠を混ぜた防染糊を置いた上で、各色の染料を刷毛で乗せていく。大きな旗の各部位に赤、緑、青、黒などそれぞれの色をムラなく染み込ませていく作業は、想像以上に緻密で時間のかかるもの。染色後は天日干しをし、乾いたら水洗いして糊を落とす。再び天日干しして、美しい大漁旗ができあがる。

現在は漁船だけでなく、企業やスポーツチームのための旗を手がけることも多い。工房では一般の方々に大漁旗の染めを体験できるワークショップも開いているという(注:高橋さんが亡くなられたため、現在は休止中)。焼津の海に力強くたなびき、港を彩ってきた大漁旗の文化が細い糸で次代へと紡がれている。

*2016年6月、高橋染物店店主・高橋浩之さんが永眠されました。ご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈りいたします。本記事は2015年9月に取材したものです。

高橋染物店
425-0031静岡県焼津市小川新町1-12-10

文:井出幸亮

写真:深水敬介