Dissertation
Survey: Ainu Culture / アイヌの弦楽器「トンコリ」と木彫師・高野繁廣(北海道)
「トンクル」、「ドンガリ」、「タンガラ」、「トカリ」......古来さまざまな呼称での記録が残されており、現在は主に「トンコリ」の表記で知られるこの楽器は、樺太(サハリン)島南部と北海道北部の宗谷、紋別、斜里などで伝承されてきた、アイヌ民族に伝わる唯一の弦楽器である(中でも北海道のものはかつて「カー(弦)」と呼ばれた)。
| Category: | Survey |
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| Date: | 2016.11.29 |
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| Tags: | #ainu #survey #トンコリ #北海道 #弦楽器 |
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"Survey"とは「調査・検分」の意。〈visvim〉が日々、ものづくりをする上でインスピレーションを与えてくれる魅力的なモノ、人、場所、文化などさまざまなトピックを独自の視点で取り上げ、レポートします。

途絶えかけた「精霊の音」を現代に蘇らせる。
「トンクル」、「ドンガリ」、「タンガラ」、「トカリ」......古来さまざまな呼称での記録が残されており、現在は主に「トンコリ」の表記で知られるこの楽器は、樺太(サハリン)島南部と北海道北部の宗谷、紋別、斜里などで伝承されてきた、アイヌ民族に伝わる唯一の弦楽器である(中でも北海道のものはかつて「カー(弦)」と呼ばれた)。

丸木をくりぬいて薄い響板を張った舟形の共鳴胴に、通常5弦を張り、指で指弾して演奏する。すべて開放弦でかき鳴らすそのスタイルはギターというよりもハープ(竪琴)に近い。古来、胴にはエゾアカマツが用いられ、弦はイラクサなどの植物の繊維や、エゾシカなどの動物の腱を撚ったものが使われたという。

トンコリのルーツはユーラシア大陸からの伝播と考えられているが、確かなことはわかっていない。トンコリについて書かれた日本の文献を遡れば、江戸後期の幕府医官・渋江長伯が蝦夷地の探索に赴いた1799年、現地でトンコリの演奏を聴いたという記録が残されており、また彼の記した『裔琴(いきん)図式』の写本『蝦夷人弾琴図』にはトンコリの形状が原寸大で描かれ、演奏の方法まで記されている。
また6度にわたり蝦夷地を調査した幕末の探検家・松浦武四郎(北海道という名前の考案者でもある)がアイヌの生活を絵で記録した『蝦夷漫画』には、トンコリを弾くアイヌの男性の姿が描かれている。武四郎は樺太で得た貴重なトンコリを水戸の殿様に土産物として献上してもいる。

アイヌの人々はトンコリを日常生活の中で気の向いた時に楽しみのために弾いたが、一方で、その音色には不思議な力があるとも考えられてきた。トンコリは人体(女性)を模しているといわれており、各部に上から頭、首、肩、胴、足と人体の名称が付いているが、胴の中央には「ペソ(臍)」あるいは「ハンカプイ」と呼ばれる穴が空いている。この穴から「ラマトフ(魂)」と呼ばれる小さなガラス玉や小石を入れることによって、楽器が精霊化されると信じられていた。トンコリを放置すると化け物になって人間に悪さをするなどの言い伝えがあるほか、疫病が流行った際にはシャーマンが数日にわたり弾き続けて魔除けを行うなど、呪術的な使い方もされていた。また歌や踊りの伴奏楽器として、祭祀・儀礼の場などでも演奏されてきた。
長らくアイヌの人々の生活の中にあったトンコリだが、明治維新以後の近代化による生活様式の変化から、次第に演奏されなくなっていく。昭和に入り、高齢だった演奏家たちが亡くなるにつれて、古いトンコリは博物館のコレクションに埋もれ、その演奏技術もまた歴史の闇に消えていった。樺太出身のアイヌ文化伝承者・西平ウメらごくわずかな人々によってその演奏は続けられたが、ウメも1977年に亡くなり、樺太アイヌの伝承者から直接、正式な指導を受けた演奏者は邦楽家の富田友子(歌萌)のみとなって、その伝統は消滅の危機を迎えた。

しかし、伝統が断絶し、ほぼ忘れ去られたかに見えた1990年代、アイヌ文化復興運動の中で独自の技法を習得してトンコリを演奏する者が少しずつ現れ始める。アイヌ伝統音楽にダブやロックなどをミックスしてオリジナルな楽曲を生み出す『OKI DUB AINU BAND』を率いるミュージシャンOKIはその代表的なひとり。彼らの活動によってトンコリはより広く知られるようになり、現在はその奏者も少しずつではあるが増えているという。
北海道沙流郡平取町・二風谷で「高野民芸」を営む高野繁廣さんはこの地域では唯一、トンコリを制作する技術を持つ木彫師。東京育ちでアイヌではない高野さんは1972年、22歳の夏に放浪の旅に出て、ヒッチハイクで二風谷へやってきた。アイヌの美しい木彫の工芸に惹かれて、アルバイトとして名工・貝澤守幸の元で働き始めたことからアイヌ文化の魅力に目覚め、本格的な修行の道に入った。数年後に師は亡くなってしまうが、79年に独立。妻の啓子さんと二人で35年以上にわたり伝統民具を作り続けてきた。



イタ(盆)、ニマ(器)、マキリ(小刀)、イクパスイ(祭祀用のへら)など、アイヌの伝統的な生活用具にはどれも独特の文様が描かれる。彫師はモレウ(渦)、アイウシ(トゲ)、シク(目)などと呼ばれるさまざまなアイヌ文様を組み合わせ、独自の図柄を考案して施す。


高野さんは、観光客向けの土産用に作られた大量生産の木彫の熊ばかりが売られ、アイヌの人々がかつて日常的に使用してきた生活工芸がほとんど顧みられなくなった時代に、あえて伝統民具の店を掲げ、そのポリシーを貫いてきた。


最も多く制作するのは、沙流川流域に古くから伝わる木製の浅く平たい形状の盆「二風谷イタ」。この地方独特の「ラムラムノカ」と呼ばれる緻密なウロコ彫り(魚の鱗状の彫刻)が特徴で、高い技術と集中力を要する技法だ。



「精神が宿るよう、一刀一刀、心を込めて彫る」という高野さんの作るトンコリには、火の神である燠(消し炭)がサンペ(心臓)として中に取り付けられ、ペソ(臍)からトンボ玉を入れて命が吹き込まれる。その素朴な音色は神秘的でありながら、心を癒やし和ませるような柔らかい響きを持つ。信仰が日常生活のすぐ側にあった古のアイヌの人々の暮らしを今に伝えてくれるようでもある。
高野民芸
055-0101 北海道沙流郡平取町二風谷78

二風谷地域のアイヌ関係施設
萱野茂二風谷アイヌ資料館
1972(昭和47)年、民俗文化研究家としてアイヌ文化の継承、資料の収集に尽力した初代館長、故・萱野茂氏が半世紀にわたって収集・保存してきたアイヌの伝統的生活用具を収蔵・公開する「二風谷アイヌ文化資料館」として開館。1991年に「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」(下欄)が仮オープンしたことにより、資料をすべて博物館へ移設。翌年、萱野茂の新たなアイヌ民具コレクションにより再スタートした。約4000点におよぶ資料を収蔵。




055-0101北海道沙流郡平取町二風谷79-4
kayano-museum.com
平取町立二風谷アイヌ文化博物館
「貴重なアイヌ文化を正しく受け継ぎ、未来へと伝えていく」ことをコンセプトに1991年に開館。民具や祭事品などの展示資料のほか、文字がなく口承文化として伝えられるユーカラ「英雄事詩」もビデオステージで実際に聞くことが出来るなど、数多くの視聴覚資料も納められている。




055-0101 北海道沙流郡平取町二風谷55
www.biratori-ainu-culture.com
文:井出幸亮
写真:深水敬介








