Dissertation
Survey: Katsuojima-shirt & Uogashi-shirt / 鰹縞シャツと魚河岸シャツ(静岡・焼津市)
現在も全国一、ニの水揚げ量を誇る静岡県・焼津港は、江戸時代から鰹を中心にした漁業が盛んな歴史ある漁港。かつて鰹の一本釣りを行う漁師たちは、鰹が釣れるとその胴を脇に挟んで鉤(かぎ)を取ったため、鰹が滑りにくく丈夫な木綿糸で織られた「鰹着物(かつぎもん)」と呼ばれる作業着を着用していた。
| Category: | Survey |
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| Date: | 2016.09.13 |
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| Tags: | #shirt #survey #焼津市 #魚河岸シャツ #鰹縞シャツ |
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"Survey"とは「調査・検分」の意。〈visvim〉が日々、ものづくりをする上でインスピレーションを与えてくれる魅力的なモノ、人、場所、文化などさまざまなトピックを独自の視点で取り上げ、レポートします。

漁師の暮らしから生まれた日本のワークウェア。
現在も全国一、ニの水揚げ量を誇る静岡県・焼津港は、江戸時代から鰹を中心にした漁業が盛んな歴史ある漁港。かつて鰹の一本釣りを行う漁師たちは、鰹が釣れるとその胴を脇に挟んで鉤(かぎ)を取ったため、鰹が滑りにくく丈夫な木綿糸で織られた「鰹着物(かつぎもん)」と呼ばれる作業着を着用していた。

大正末期になると、漁師の男衆の間で白地に青い縦縞模様のシャツが流行する。そのベースとなる生地は、漁師の家の女性たちが大漁祈願と家族の安全無事を祈り、自家用の織り機で織ったもの。彼らはこの手織り布を仕立屋に持ち込み、シャツに仕立てた。南は沖縄から北は三陸沖まで、回遊する鰹を追って全国各地の港を訪れた焼津の漁夫たちはみなこれを着ていたので、非常に目立ったという。


いつしか「鰹縞シャツ」と呼ばれるようになったこの作業着は、漁の仕事における機能性を重視して作られており、頑丈な厚手の木綿素材、動きやすいよう袖ぐりが広く取られたドルマンスリーブ、襟の折り返しのないスタンドカラーと巾の狭いカフス、裾がズボンから出てしまわないよう丈が長く、胸ポケットにはタバコなど小物類を入れるための蓋が付くのが定番のスタイルだった。焼津古来の漁具などを収蔵・展示する『焼津漁業資料館』では、当時着用されたシャツの実物を見ることができる。


鰹縞シャツは昭和40年ごろまで焼津の男たちに愛用されたが、既製服の普及により、手間のかかる手織りのシャツは廃れ、焼津で戦前に30軒ほどあった仕立屋の数も減少の一途を辿った。そうした状況の中、ただ一人伝統を守り続けたのが、「焼津最後の鰹縞仕立て職人」と言われた、1913年創業の老舗『森省商店』の主、森要三氏(故人)だった。しかし、伝統的な鰹縞シャツを作り続けた森氏も21世紀に入り、引退を決意。"絶滅"の危機となったが、焼津市内で伝統商品を扱う『やきつ家』店主・望月誠さんがこのシャツの文化を何とか次代へ残そうと、後継者の育成を提案。市内に住む、確かな洋裁技術を持つ鈴木明子さんにその型紙と技術が受け継がれることになった。現在は鈴木さんがたった一人で〈森省鰹縞〉ブランドとして、昔ながらの鰹縞シャツを一着ずつ丁寧な手縫いで仕上げている。

この焼津には鰹縞シャツ以外にもうひとつ、この町の水産関係者たちに愛されたシャツがある。昭和の初めの物が少ない時代、お祭りの際や返礼品として作られた手拭いを利用し、七分袖のシャツに仕立てた「手拭い襦袢」と呼ばれたもの。織りが荒く吸湿性・速乾性に優れた手拭いの素材と、通気性の高いゆったりとしたデザインで夏の衣料として親しまれたこのシャツを、先の『森省商店』の森氏が遠州に伝わる独自の染色技術「注染」の技法で染め、さらに「魚河岸」のロゴマークの入った生地で仕立てて1977年に商品化。これを「魚河岸シャツ」と名付けた。


魚河岸シャツはその後もじわじわと市民の間で人気を保ち、21世紀に入ると焼津市の町おこしのひとつとして取りあげられたことから急速に認知が進み、今では市役所の職員も着用してPRに努めているほど。ハワイにアロハシャツ、沖縄にかりゆしウェアがあるように、焼津には魚河岸シャツがある。庶民の暮らしと仕事から生まれたユーティリティ・ウェアの文化が、地元の人々の意思によって、現代にまで継承されている。
やきつ家
425-0027 静岡県焼津市栄町3-1-13
yakitsuya.com
文:井出幸亮
写真:深水敬介








