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Dissertation

Survey: Schindler house & VDL Research house / 〈シンドラーハウス〉と〈VDLリサーチハウス〉

1920年代、それまでのアール・デコ様式などの過剰な装飾を排除し、個人や地域の特殊性を超えた世界共通の合理的・機能的な様式を目指す「インターナショナル・スタイル」の建築を提唱したのは、1919年にドイツで設立された造形学校「バウハウス」と、それに呼応したフランスのル・コルビジュエらだった。

Category:Survey
Date:2017.05.23
Tags: #architecture #neutra #schindler #survey

"Survey"とは「調査・検分」の意。〈visvim〉が日々、ものづくりをする上でインスピレーションを与えてくれる魅力的なモノ、人、場所、文化などさまざまなトピックを独自の視点で取り上げ、レポートします。

アメリカの近代建築を支えた、二人のオーストリア人建築家の家。

1920年代、それまでのアール・デコ様式などの過剰な装飾を排除し、個人や地域の特殊性を超えた世界共通の合理的・機能的な様式を目指す「インターナショナル・スタイル」の建築を提唱したのは、1919年にドイツで設立された造形学校「バウハウス」と、それに呼応したフランスのル・コルビジュエらだった。

鉄筋コンクリートとガラスによる構造と、フラットな陸屋根を持つ四角い建物。近代建築の典型的な様式として世界中を席巻することになるこのインターナショナル・スタイルが、同時代のアメリカにおいて最も先鋭的に展開されたのはカリフォルニアであった。1940年代以後のミッド・センチュリー期に花開く、チャールズ&レイ・イ―ムズらに代表されるカリフォルニア・モダンデザインの先駆となったこのムーブメントを推進し、大きく発展させた背景には、この地に移住した二人のオーストリア人建築家の存在があった。

リチャード・J・ノイトラは1911年に入学したウィーン工科大学で5歳年上のルドルフ・M・シンドラーと出会った。後に生涯の友人となった彼らは二人とも、「装飾は罪悪である」と宣言した同じオーストリア出身の建築家アドルフ・ロースの思想に強い影響を受けており、またアメリカのフランク・ロイド・ライトを尊敬していた。

シンドラーは1914年にアメリカに移住、3年後には念願叶ってライトの事務所に職を得た。1922年、独立した彼はロサンゼルスのノース・キングスロードに自邸兼スタジオを建てることになる。竣工から90年以上が経った現在もほとんど変わらぬ姿をこの地に留めているその建築は、現在〈シンドラーハウス〉の名で知られている。

当時、大量生産される自動車などと同様に、住宅にも工業化が求められていた。そうした時代の要請に応じて、シンドラーは(工場ではなく)現地の地面に作った型枠にコンクリートを流し込んでパネルを作成し、それらを立てて壁とするユニット工法を採用している。

合理性を追求する一方で、その空間構成においては非常に有機的な志向が見られる。部屋の背後をコンクリート壁とし、中庭に面した前面を木とガラスで開放的に仕上げる「後ろを閉じて前を開く」構成により、室内と室外がゆるやかにつながることで、自然との一体化が目指されている。

また、低い平屋、引き戸、庇、竹の生け垣など、そこかしこに日本建築からの影響が見て取れるのも特徴。日本に長く滞在した師のライトを通じて知った、自然を受け入れ共存する日本人の伝統的な生活空間からヒントを得たものと思われる。

シンドラーはその後、1922〜26年にかけて、親交のあったフィリップ・ロヴェル博士のビーチハウスを設計する。屋外での生活やエクササイズ、自然食など、1960年代に西海岸を中心に爆発的な広がりを見せるナチュラルライフを先取りしていた博士のニューポートのビーチハウスは、自邸と並ぶシンドラーの代表作であり、コルビジュエのサヴォワ邸、ミース・ファン・デル・ローエのバルセロナ・パヴィリオンよりも早いインターナショナル・スタイル建築の傑作として現在も知られている。

シンドラーに遅れること9年、ノイトラもまたドイツを離れ、1923年に妻とともにアメリカにやってきた。建築家ルイス・サリヴァンの葬儀の場でライトに出会ったノイトラは彼の元で3ヶ月間働いた後、ロサンゼルスに移住。先輩シンドラーと再び親交を結び、ノース・キングスロードの自邸に夫妻で転がり込んで、個人事務所を開設。以後、シンドラーとは5年間にわたり共に仕事をした。1926年、ノイトラはシンドラーのクライアントだったロヴェル博士から自邸の設計依頼を受け、"健康住宅"を設計。世界的な近代建築の傑作と絶賛され、その名を一躍世界に轟かせることになった。

1932年にロサンゼルス・シルバーレイクに建てられた〈VDLリサーチハウス〉は、ノイトラ夫妻とその息子ディオンらが住んだ自邸である。1963年に火災でバックハウスと地階を除き焼失してしまい、ノイトラとディオンとの共同設計という形でメイン棟を再建したもので、現在は大学に寄贈され、メイン棟は建築学科の研究所になっている。

陽光をふんだに取り入れ、また水場(現在は砂利が敷かれている)越しにシルバーレイクの美しい景観を望める二階のガラス張りペントハウス、緑に囲まれたパティオなど、カリフォルニアの自然環境を存分に体感することができる。また空間の有効利用のため、本棚やソファ、キッチンのまな板やジューサーから缶抜きまで多くの家具が備え付けになっているほか、強い太陽光を調節する大きなスイッチ式のブラインドパネルなど、機能的な設備も充実している。

雨が少なく温暖であり広大なカリフォルニアは大きな平屋のフラットな陸屋根に適しており、屋上利用も可能になる。通常ヒートロスの激しくなる大ガラスの開口部も、ここでは問題にならない。そうした地理的要因を改めて考える時、インターナショナル・スタイルがこの地で世界に先駆けるように発展した理由がほの見えてくる。シンドラーとノイトラにとって、合理性・機能性を追求する近代建築とは決して非人間的な工業の産物ではなかった。ロサンゼルスに今も残る2つの自邸には、彼らが目指した、地域の環境と調和し自然とともにある人間の豊かな暮らしを育む、新たな時代の建築の姿が示されている。

MAK Center for Art and Architecture L.A.
R.M. Schindler Studio and Residence

835 North Kings Rd., West Hollywood, CA 90069-5409
www.makcenter.org

Neutra VDL Studio and Residences

2300 Silver Lake Blvd., Los Angeles, CA 90039
www.neutra-vdl.org

文:井出幸亮

写真:深水敬介